リオネル・メッシはどういう選手?プレースタイルや背番号、ポジションにバルセロナ入団秘話まで!

世界最高のサッカー選手としての呼び声高いリオネル・メッシ

そんな彼は幾度も栄光を得ながらも挫折も味わってきました。

バルセロナ、そして母国アルゼンチン代表のナンバー10としてチームを率いてきたメッシの人生に迫っていきます。

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プロフィール

 

フルネーム

リオネル・アンドレス・メッシ・クッシッティー

Lionel Andrés Messi Cuccittini

 

愛称

レオ

 

生年月日

1987年6月24日

 

国籍

アルゼンチン

スペイン

 

出身地

ロサリオ(アルゼンチン)

 

身長

170cm

 

体重

72kg

 

利き足

左足

 

ポジション

CAM, ST

 

所属チーム

FCバルセロナ

 

背番号

10

 

スパイク

アディダス(以前はナイキ)

 

国籍はアルゼンチンとスペインのようですが、イタリアにルーツを持つようです。続いてメッシのプレースタイルについて書いていきます。

 

プレースタイル

 

ポジション

バルセロナのユースでは左WG(ウイング)としてプレーしましたが、トップチームに昇格後は右WG(ウイング)を主戦場としました。また、ジョゼップ・グアルディオラ監督のもとでは偽9番としてプレーしました。近年はST(セカンドトップ)やCAM(トップ下)でのプレーが多くなっています。いずれのポジションであっても世界最高峰のプレーをすることができる選手です

 

ドリブル

世界最高のドリブラーで、小刻みなボールタッチに瞬発的なスピードアップで容易にディフェンスを置き去りにします。特にボールタッチや重心移動のリズムは南米的というよりもメッシ的というのがふさわしいように思います。メッシは反発ステップを使ったマシューズフェイントやダブルタッチを使って相手を抜いていきますが、元同僚のネイマールのような派手なフェイントというよりはボールタッチの中での最後の決め手のような使い方です。また、恵まれているとは言えない体格ながら、フィジカルは非常に強く、大きなDF相手にも当たり負けしません。

 

シュート

ドリブラーとしてだけでなくシューターとしても世界随一で、世界中の様々な大会で得点王に何度も輝いています。正確無比なシュートは主に左足から繰り出されますが、FIFAクラブワールドカップ2009決勝では延長後半にメッシが胸でクロスボールを合わせて決勝ゴールが生まれ話題になりました。

 

フリーキック

プロデビューからしばらくはキッカーを務めることもほとんどありませんでしたが、2011年ごろから急速にフリーキック精度が高まり、今では世界最高のフリーキッカーと言われています。メッシのフリーキックはスピードで押し込むものではなく、キーパーの手の届かないゴール隅を正確につくもので、各チームはその対応に悩まされています。2020年3月7日のリーグ戦第27節では、レアル・ソシエダのメッシのFK対策として、チーム全員がそれぞれコースを消すという珍しいプレーがみられ、話題になりました。

 

パス

メッシのラストパスもまたバルセロナの強力な武器の一つです。同時に展開力にも優れており、視野の広さを感じさせます。

 

守備

年齢を重ねるにつれて守備への貢献は少なくなっています。攻撃にすべてのエネルギーを注いでもらうために監督が守備を免除させているわけですが、本当に必要なとき、例えばカウンターの芽を潰さざるを得ないときにはきちんと守備もしている印象があります。

 

次はメッシの経歴について書いていきます。

 

経歴

 

バルセロナ加入以前

故郷のアルゼンチンではニューウェルズのユースチームに所属していました。当時のニューウェルズのユースチームは敵なしと言われていて、その中でもメッシは抜きんでて活躍していたようです。しかし、10歳の時に成長ホルモンの分泌異常が認められました。このことについてはプライベートの欄に詳しく書いておきます。

 

バルセロナ加入からトップチームデビューまで

メッシは13歳の時にバルセロナの加入テストを受けました。当時のトップチームの監督カルロス・レシャックはメッシのプレーを一目見ただけですぐさま合格を決めました。当時、メッシほどの若い選手との契約は異例だったため、契約書がその場にありませんでした。しかし、レシャックは契約を逃すことを恐れ、紙ナプキンを契約書として代わりに使い、メッシとの契約を結びました。メッシは極端にシャイだったようで、ユースチームではほとんど他のチームメイトとの会話をしなかったようです。そのチームメイトにはセスク・ファブレガスジェラール・ピケも含まれ、彼らの世代はバルセロナカンテラでも最強の世代のひとつとして知られています。その後、カンテラを卒業する前にセスクはアーセナル、ピケはマンチェスター・ユナイテッドへと旅立ちましたが、メッシはバルセロナでステップアップを重ねてついに16歳でトップチーム入りを果たしました。

 

バルセロナトップチーム

2004-2019 687試合出場 603得点

2004年10月16日、第7節エスパニョール戦でトップチームデビュー、2005年5月1日の第34節アルバセテ・バロンピエ戦で初得点を決めました。翌2005-2006シーズンは怪我もあってシーズン通しての活躍はできませんでした。2006-2007シーズンではレアル・マドリードとのダービー、エル・クラシコハットトリックを決めるなど主力として活躍しました。2007-2008シーズンも同様の活躍を見せ、バロンドールで3位に輝きました。

2008-2009シーズンは背番号を10に変更、そしてチームはチャンピオンズリーグを制覇、3冠を達成しました。2009年、この活躍を認められ、バロンドールを初めて受賞します。また、クラブワールドカップでの大会MVPに輝く活躍から、FIFA年間最優秀選手に選出されました。2010年にバロンドールFIFA最優秀選手が統合されてFIFAバロンドールとなり、メッシがここから3年連続でバロンドールを獲得していき、合計4年連続の獲得となりました。2014-2015シーズンには盟友となるルイス・スアレスが加入し、右WGとしての起用が多くなりました。このシーズン2011-2012シーズンぶりにチャンピオンズリーグの優勝トロフィー、ビッグイヤーを勝ち取りました。このシーズンを最後にシャビはバルセロナを退団しました。また、2015年に5度目のバロンドールを獲得し、バロンドールの受賞回数記録を更新しました。

2016-2017シーズン、チャンピオンズリーグラウンド16ではPSGと対戦、1stlegでは0-4で敗北しましたが、2ndlegでホーム、カンプノウで6-1の勝利をおさめ、チームはラウンド8に進出しました。2017-2018シーズン終了後にアンドレス・イニエスタが退団したため、翌2018-2019シーズンからはキャプテンを務めています。また、2019年にはバロンドールを受賞、合計で6回目となりました。

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アルゼンチン代表

138試合出場 70得点

2005年8月17日のハンガリー戦でフル代表デビュー。しかし、この試合でメッシは途中出場直後に一発退場を受けてしまいました。2006FIFAワールドカップではレギュラーではなかったにも関わらずグループ突破に貢献し、チームは準々決勝まで進出しました。2007年にはFIFAU-20ワールドカップを辞退してコパ・アメリカ2007に出場したが、チームは準優勝に終わりました。翌年2008年の北京オリンピックでは見事に優勝し、金メダルを獲得しています。しかし、このタイトルが、メッシが獲得した最後の代表タイトルとなりました。

2010FIFAワールドカップ、コパ・アメリカ2011では大会前に最も注目を受けた選手でしたが、優勝はできませんでした。2014FIFAワールドカップではチームを率いて決勝に進出しますが、決勝でドイツに敗れてしまいました。コパ・アメリカ2015でも準優勝に終わり、大会最優秀選手も辞退しました。2016年に行われたコパ・アメリカ・センテナリオでも準優勝。これで3年連続の決勝敗退となりました。このころにはメッシはアルゼンチン代表の圧倒的なエースとして君臨していたため、タイトルを逃し続けたことに批判の声が大きくなりました

大会後に代表引退を示唆しましたが、結局は撤回。2018FIFAワールドカップでもタイトルを勝ち取ることはできず、代表引退も噂されましたが2019年春に復帰。コパ・アメリカ2019にも出場しましたが結果は3位で終えています。

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次はメッシのプライベートについて書いていきます。

 

プライベート

 

家族

奥さんはアントネラ・ロクソさん。幼馴染で幼いころから家族ぐるみの付き合いだったようですが、スーパースターになった今でもその奥さんを連れ添っているのは真面目なメッシらしいことですよね。

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息子はチアゴ、シロ、マテオの3人。メッシの息子とあってSNS上で話題になることもあります。

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成長ホルモンの分泌異常について

メッシが10歳のとき、成長ホルモンの分泌異常が認められました。当時メッシの身長が小さいことを気にした両親が病院に相談したために発覚したようです。アルゼンチンの名門リーベル・プレートは身長の低さを理由にメッシの獲得を断念し、治療費を出してくれるクラブを探しました。そしてメッシに目をつけ、治療費をすべて出すことで契約を勝ち取ったのがバルセロナだったわけですバルセロナで成長ホルモンの投与をはじめたメッシは身長もなんとか170cmになりました。身長は伸びたメッシでしたが、数年前まで薬の副作用に苦しめられていたといいます。副作用として、体重の増加や突然の嘔吐が起こっていたようで怪我の増加などほかの問題にも飛び火していました。しかし、メッシは医師のジュリアーノ・ポゼル氏の指導の下食生活を改善し、これらの副作用をなんとか乗り切っているようです。

 

髪型

デビュー当時は髪を伸ばしていましたが、最近は短め、そして髭も生やすようになりました。髭を生やすのはゲン担ぎが理由らしいですが、髭を生やしてないほうがさわやかイケメンという印象がありますよね。

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SNS

 

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